文化交流の難しさ

文化交流の果てに

アウトブレイク・カンパニーにおいて取り上げられている文化交流については、オタクというものの考え方ではなく、単純な意味で考えても到底分かり合うことが出来ないのが現実だ。一例としてあげるならキリスト教とイスラム教といったものにおける派閥、その他にも宗教的な対立などといった問題も多く見られる。また日本においても文化交流と言われているが、そもそもその文化が衰退の一途を辿っている事実をキチンと認識しなくてはならない。オタク文化だけで見ればそれなりに需要は今でも存在しているが、それ以外の文化においては死活問題といわれるような現実と直面している。

文化について取り上げたら、実はそういった裏の面にまで注目しなければならない。また作中においてもこの問題は取り上げられている、エルダント帝国がコレまで築き上げてきた文化をどこぞと知れぬ国からもたらされた面妖な文化に汚染されるわけには行かないといった気概があった。これは現実や空想に関係なく、文化というものを守るためには絶対に行わなければならない部分となっている。しかしそれが今の日本でできているのかについては、疑問符が残る。文化という問題を取り上げている当作品こそ、改めて現実における文化が危機的状況にあることを認識せざるを得ないのかもしれない。

意図は必ずあるだろう

文化的な問題に関して取り上げるとなったら、それこそ非常にややこしい問題になる。しかも商業作品として取り上げることになったら、比較対象とする側とされる側の双方に対して気を使わなければならない。意識的に配慮して互いの文化について貶めるような考え方もあまり披露しないようにすることにも配慮が求められてしまう。文化に対してはもちろん好き嫌いはあるかも知れないが、二次元において一方を持ち上げるような表現も好まれない。そういう意味では作家としても文化という題材を取り上げたら、他文化との対立性について話したらキリがないといえる。

そういう意味で、このアウトブレイク・カンパニーにおいては文化同士が絡み合う駆け引きを理屈に関係なく気軽に読む事が出来ると、そんな風に紹介されたことがある。それは確かにいえる、物事にはどうしても理屈に捉われてしまうといった、そんなことも時にはある。ただそんなことを気にかける事無く、1つのフィクションとして扱えるのであれば話は別だ。一作品の題材として取り上げられているものであったとしても、常識に関係なく読み進めるのはとてもいいことだ。特にオタクといった偏見に満ちたものを一般的な文化として紹介している作風は、見事といえる。コレも作者の見せ方が良いということなのかもしれない。

作家講座

異文化交流に見せかけた陰謀

作中でオタク文化を用いて侵略行為を間接的に行っていこうとする動きに関しては、こちらは現実としてもある一例を取り上げることが出来る。侵略ではないにしても、一時期テレビをつければどこでも放送されているという印象が強かった韓国文化、日本でも一時期何処をつけても韓国系のドラマや音楽を耳にする機会があった。その一方で日本特有の文化が非常に薄れていたと感じていたという人もいるだろう、そしてそんな中でとある一人の俳優が痰を切ったことでそれまでの鬱憤を爆発させるように不満や怒りが溢れかえった。

一時期、日本ではめったに話題にも取り上げられないデモ行進がメディア前で行なわれるなど、騒動が次第に大きくなって行くと徐々に韓国系ドラマは地上波でほとんど見られなくなっていった。コレについても利権などが絡み合って、メディアと政府、そして韓国といった図式が密接に絡み合っていたからこそ、アレだけ大々的に宣伝ともいえるような放送が行なわれていたといえる。

これとアウトブレイク・カンパニーで取り上げられている文化交流の裏に秘められた駆け引きが、リアリティを生み出しているからこそ話題を呼んでいるといって良い。筆者はそこまで専門的に話しが出来るほど詳しい情報を獲得しているわけではないため一見した見方でしか話せないが、何処の世界でもそういった陰謀めいた裏の顔はどこにでもあると思えば納得できるだろう。正直綺麗なものなど存在しない、そんな風に思えばある程度は納得できるところだ。皮肉めいた内容だが、榊氏はそんな非常にナーバスな問題をコミカル調に表現していると思えば中々勇気のいる試みといえる。無謀ともいえるが、作者冥利につく偉業とも評していいかもしれない。

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